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おさかな情報 No.7 1999年7月


1999年度 第2回展示テーマ 
    「 鰻と日本人 」
   
             うなぎ

           おおうなぎ

        目次
はじめに  ・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 
鰻と日本人・・・・・・・・・・・・・・・・ 2 
ウナギの完全養殖をめざして・・ 3
ウナギの仲間・・・・・・・・・・・・・・ 5
ウナギの生活・・・・・・・・・・・・・・ 6
「ウナギのレプトケパルス」・・・  7
ウナギの生産・・・・・・・・・・・・・  8 
 築地魚市場 おさかなニュース
    ハモ と スズハモ ・・・・・10

次回の展示テーマ・・・・・・・・・・ 10


 はじめに

  私たちになじみの深い魚である鰻は、日本人が最も古くから食用とした魚の1つです。約5000年以上前の縄文時代の貝塚からもマダイ・スズキ・ボラなどとともに鰻の骨が発見されます。「万葉集」(奈良時代)にも「むなぎ」の名前で登場します。今日のように「うなぎ」と呼ばれるようになるのは平安時代になってからです。
 世界の鰻の生産量は現在約20万トンですが、そのおよそ半分を私たち目本人が食べています。築地魚市場では、天然鰻や国内外で養殖された鰻が活魚のほか白焼き・蒲焼きなど様々な姿で流通しています。代表的な鰻料理である「蒲(かば)焼き」は今では、養殖や加工技術の進歩により、いつでも食べることができるようになりましたが、日本の夏の風物詩であることに変わりありません。
 展示では、鰻の生活や鰻の仲間のほか、その生産や日本人とのかかわりなどを紹介します。


                「海乃幸」(勝龍水、1755より)


 鰻と日本人

 遺跡や古文書(名前の由来も含みます)、蒲(かば)焼き、図譜から鰻と日本人の関係を考えてみたいと 思います。

 “遺跡や古文書から考える”
 鰻の骨は縄文時代の数多くの遺跡(貝塚)から発見されています。関東地方では東京湾周辺や利根川下流域の遺跡から出土します。日本人が約5000年以上前から鰻を食べていた証拠です。鰻は、マダイ・クロダ イ・スズキ・ボラ・コチなどとともに縄文時代の代表的な食用魚であったようです。文書に現れるのも早く、日本最古の歌集である「万葉集」(奈良時代)の大伴家持(おおとものやかもち)の歌に「むなぎ」の 名前で出ています。平安時代の文書にも鰻が登場しますが、この時代になると「むなぎ」とならんで「うな ぎ」も見られるようになりました。室町時代には、おもに「うなぎ」が用いられるようになり、江戸時代以 降はほとんど「うなぎ」と呼ばれるようになります。

 江戸時代前期の「本朝食鑑」(人見必大、1697)は鰻についてくわしく説明しています。「体は蛇(へ び)に似ている、肉髭(肉間骨のこと、身の中にある小骨)が尾まである、腹は白い、大きいものは2、3 尺(約1m)になる、体はヌルヌルしていてつかみにくい、など。」また、「もう1種、大きい種類がいて、好んで蟹(かに)を食う。それで蟹喰(かにくい)鰻という。」とあり、すでに当時からウナギとオオウナギ(カニクイ)(5ページ参照)を区別していたことがわかります。本書では、鰻は日本各地で捕れる が、「なかでも、江州(近江国、現在の滋賀県付近)の勢多(瀬田のこと)の橋あたりで捕れるものが最も良い、淀川、琵琶湖、諏訪湖のものがこれに次ぐ。」と当時の産地の評価もしています。

 「うなぎ」の語源については、「むなぎ」から変化したものと考えられています。「日本釈名」(1815) で、貝原益軒(えきけん)は「むなぎ」は棟(むなぎ:屋根にわたす材木)で丸くて長いからとしています。しかし、「むなぎ」は「むな(胸)」「き(黄)」で、胸が黄色だからという意見もあります。

 遺跡の調査結果や古文書をみると、鰻と日本人のかかわりあいは長いだけでなく、深かったことがわかり ます。



            瀬田の鰻漁
「日本山海名所図会_(長谷川光信(画)、1754より)

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 “「蒲(かば)焼き」から考える”

 蒲焼きが文書に最初に現れるのは1399年の「鈴鹿家記」といわれています。この頃までの 調理法では、鰻を丸のまま縦に串に剌して焼いていたらしく、その形が蒲(がま)の穂 (ほ)に似ていることから蒲(がまー>かば)焼きと呼ばれるようになったという説が一般的です。室町時代の料理書「大草家料理書」にも、「宇治丸(うなぎ)かばやきの事 丸にあぶりて後に切也 醤油と酒を交て付る也 又、山椒味噌(さんしょうみそ)付て出しても吉也」(うなぎの蒲焼きは丸ごとあぶったものを切って、醤油と酒を混ぜたものにつける。山椒味噌をつけるのも良い也)とあります。今日のように鰻を開いて焼く蒲焼きは、江戸時代 前期の「和漢三才図会」(1712年)(「馥焼(カハヤキ)」とあります。「馥」は「よいにおい]という意味なので、よいにおいのする焼き物ということでしょう)に出てくるので、 この頃までに始まったと考えられています。

 蒲焼きはもともと上方(関西)で発達し、正徳年間(1711〜1715年)に江戸に伝わったと いわれています。文化・文政から嘉永年間(1804〜1854年)には江戸で蒲焼きが全盛期を向かえました。これには、天明年間(1781〜1789年)に銚子で開発された濃口醤油が関係しているようです。

 ところで毎年夏になると、新聞・雑誌などで鰻の蒲焼きを作ったり食べたりしている様子が風物詩として紹介されます。その時には、夏バテ防止になるという蒲焼きの効用とともに、「土用の丑(うし)の日」に蒲焼きを食べることを流行させたのは学者として有名な平賀源内(ひらがげんない)であるという説が必ず紹介されます。あまりはやらない鰻屋のために、源内が店の入り口に「本日土用の丑の日」 と大きく書いたところ、その店が大いに繁盛したというものです。しかし、末広恭雄博士 (1989)は宮川曼魚(まんぎょ)氏の次の説を正しいと思っているようです。「土用に大量の蒲焼きの注文を受けた鰻屋・春木屋善兵衛が、1日で作るのは無理なので、子(ね)の日、丑 の日、寅(とら〕の日の3日間で作って土がめに入れて保存しておいた。納品の時に開けてみたところ、丑の日のものだけ悪くなっていなかった。これが『土用丑の日』の由来である。」

 蒲焼きにはビタミンB1(食欲増進など),A(視力増進)、E(老化防止)などが多く含まれるほか、DHAとEPA(脳や心筋梗塞(しんきんこうそく)予防など)やレシチン脳細胞活性化など)なども含まれています。「土用の丑の日」の由来はさておき、蒲焼きが夏バテの防止や解消に効果があることはまちがいないようです。

 よく知られているように、関東と関西では蒲焼きの作り方がちがいます。成瀬宇平氏 (1995)によれば、「目打もしてから、関東では背開き、関西では腹開きにする。関東流は背開きし頭を除いた鰻に串を打ち、まず白焼きにする。つぎに蒸す。以後にタレをつけて焼 く。=関内流では腹開きしたものは頭のついたまま白焼きにし、蒸さないでタレをつけて蒲焼きにする。=関東の蒲焼きは蒸すのでトロトロとやわらかく、関西は蒸しにかけないから、身肉はいくぶんかたい。」。この違いについて、野村信之氏(1991)は「関東では白焼きのあと蒸すが、これは=流れの少ない所に育つ鰻の泥臭さを蒸しによって抜いたもので、関西の鰻は=清流でとれるので臭いが少ない=。 調理法のちがいは生息場所によるものである。」 といいます。これは天然鰻だけを食べていた時代のことと思われますが、養殖鰻が大半を占めるようになった今日でも関東と関西での調理法はもとのままです。食材が天然から養殖に変わったぐらいでは、長年にわたって培ってきた食文化は変わらないということかもしれません。


  
江戸買物独案内 江戸料理事典 松下、1996より


      
関西流の鰻の蒲焼きの分布(野村、1991より)
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 “図譜から考える”

 江戸時代には、図入りの本草書や各地の物産誌が数多く作られました。最も初期の本草書である「訓蒙図彙」(中打タ斎、1666)にも鰻の図が出ています。このほか、江戸時代中期では和漢三才図会(寺島良安、1713)、日東魚譜(神田玄泉、1731)、菜魚図賛(服部範 忠、1738)、日本山海名物図会(早瀬徹斎(撰)・長谷川光信(画)、1754)、随感写真(後藤梨春、1757)、海乃幸(勝龍水、1755)、江戸時代後期では梅園魚品図正(毛利梅 園、1835)、魚貝譜(鍬形恵斎、1813)、魚貝能毒品目図考(高島春松、1849)、半魚譜(服部雪斎(画)、1859)などがあります。葛飾北斎の「北斎漫画」(1815)にも鰻の絵があります。当時も日本人にとって鰻が大変身近な魚てあったことを物語っています。
 ところで、高木春山の「本草図説](1852)には「耳うなぎ」という耳のある鰻が描かれています。伊豆の三島にすむといわれていますが、もちろんそのような鰻が捕られたという 記録はありません。


参考資料
松下幸子.1996.図説 江戸料理事典、柏書房. 成瀬宇平.1995.魚料理のサイエンス.新潮社. 野村信之、1991.関西鰻蒲焼論.水産増殖,39(2):229,231. 小澤貴和・林 征一、1999.ウナギの科学 解明された謎と驚異のバイタリティー、恒星社厚生閣 末広恭雄.1989.魚の博物事典.講談社

  
  
「訓蒙図彙」(中打タ斎、1666)       和漢三才図会(寺島良安、1713)

 ウナギの完全養殖をめざして

 ウナギの人工種苗(シラスウナギ)を作る研究は1930年代にアメリカ(アメリカウナギ)とフランス(ヨーロッパウナギ)で始められました。しかし、人工ふ化に成功したのは40年後の1973年のことでした。北海道大学の山本喜一郎教授のグループがサケの脳下垂体のホルモンでウナギを人工的に成熟させ、世界で初めて全長約3mmの仔魚(レプトケバルス)を得ることに成功しました。その後、多くの研究機関で人工ふ化・仔魚の飼育の研究が行われてきましたが、餌や飼育環境の問題などがあり、2週間以上また全長10mm以上に育てるのも難しい状態が続きました。ところが、1990年代になると天然の仔魚の餌や生活環境が次第に明らかにされるようになったこともあり、人工ふ化仔魚の飼育の研究が大いに進歩しました。最近では、サメ卵の粉末・オキアミの抽出液など様々に工大した餌を使ってかなり長期間飼育できるようになりました。本年5月31日水産庁養殖研究所は、「人工ふ化仔魚を現在250日以上飼育し、体長 31mmまで成長させることに成功した」と発表しました。
 ウナギ資源の減少が深刻な問題となっている今日、このレプトケパルスが天然ウナギと同じように約60mmまで成長し、変態してシラスウナギになる日の1日も早いことを願わずにはおれません。


参考資料
神奈川新聞.1999年5月31日版. 多部田修(編).1996.ウナギの初期生活史と種苗生産の展望.恒星社厚生閣. 田中秀樹他.1999.平成11年度日本水産学会春期大会講演要旨集.
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 ウナギの仲間

ウナギ目
 世界て15科約740種ほどが知られています。目本の周辺海域には、ウナギ科・アナゴ科・ウツボ科・ウミヘビ科など14科約150種が分布しています。細長い体とレプトケパルス(7頁を参照)という仔魚期を経るのが共通の特徴です*。ふつう鱗(うろこ)はありませんが、ウナギ科全種類とホラアナゴ科の一部の種類には皮ふに埋もれた小さい鱗があります。ウナギ科 ・アナゴ科・ハモ科の多くの種類は重要な水産資源てすが、このほかウツボ科・ウミヘビ科 ・ホラアナゴ科の一部のものも食用とされています。  ウナギ目魚類は腹鰭(はらびれ)をもたないので無足類(腹鰭は四足動物の後足にあたります)と呼ばれることがあります。しかし、白亜紀(はくあき、約1億4000万年から6500万年前)の地層から発見されたウナギ類の祖先には腹鰭がありました。体が細長くクネクネと泳ぐので、長い進化のなかで腹鰭が失われたものと思われます。

ウナギ科
 ウナギが含まれるウナギ科はウナギ属のみからなり、現在18種および亜腫が知られていま す。このうち、2種(ヨーロッパウナギとアメリカウナギ)が大西洋に、残りはインド洋と西太平洋に分布しています。日本にはウナギとオオウナギ(別名カニクイ)が生息しています。ウナギの分布は北海道南部から朝鮮半島・中国・ベトナム北部・フィリピン北部です が、オオウナギは南日本からインド・西太平洋域に広く分布しています。琉球列島てはオオウナギの方が多く見られます。いずれも河川や湖沼で生活しますが、2種類が生息する河川ではウナギは河口域に、オオウナギは中流域にとそれぞれすみ分けています。ウナギは大きくても全長1mぐらいてすが、オオウナギは2m以上にもなります。オオウナギはウナギほど美味しくないといわれていますが、場所によっては珍重されているようです。

* フウセンウナギ目・カライワシ目・ソコギス目魚類もレプトケバルスという仔魚期を経るので、ウナギ目魚類の親戚と考えられています。

       

   
           
ウナギ科魚類の分布
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 ウナギの生活

 ウナギの生活については不明な部分がたくさんありますが、そのなかで「いつ、どこで、どのように産卵するのか」ということは「今世紀の海洋科学に残された以後の謎のひとつだ」(朝日新聞1998年5月27日)とまでいわれています。
 河川や湖沼で生活している時には精巣や卵巣がほとんど発達していません。そのため、昔から「山芋」や「水中に落ちた馬の毛」がウナギになると想像されていきました。
 ヨーロッパウナギとアメリカウナギについては、1920年代にサルガッソー海(北緯20°〜30°、西経48°〜65°)が産卵場であることがわかりました。ウナギ類は、サケ・マス類とは逆で、海に下って産卵することがわかりました。
 日本を含む東アジアに分布するウナギについても1930年代から調査・研究が行われてきましたが、なかなか産卵場を突き止めることができませんでした。「1990年代になると、北緯15°、東経137°付近で体長約10mm前後の仔魚(レプトケパルスといいます)が約1000個体採集されました。なかには体長7.7mmという生まれて10日前後と思われるものも混じっていました。生まれてからの日数や海流の方向などから、産卵場は北緯15°、東経140°(マリアナ諸島の西方海域)付近であることがわかりました。
 

  5年から15年間河川や湖沼で生活したウナギは体長40〜70cmになり、秋から冬にかけて海に下ります。この時期のウナギは「銀ウナギ」と呼ばれ、全体的に黒色で、腹側は銀白色になり、眼は大きくなるなど外見が変化してきます。そして海底ではなく中洲を泳ぎ、餌もとらずに、マリアナ諸島西方海域をめざすと考えられています。
 精巣や卵巣はこの移動中に成熟します。5〜6月の新月に産卵し、ふ化した仔魚は北赤道海流で西へ運ばれます。冬に入り、体長約60mmになると変態が始まり、体は少し短くなります(図)。約3週間で「シラスウナギ」になります。この頃には黒潮の流れにのっており、冬から春にかけて日本の海岸に近づきます。その後、川を上り始めると、体も黒くなり「クロコ」と呼ばれます。そして産卵期をむかえるまで河川や湖沼ですごします。
   研究を初めて60年、やっとこのようなウナギの生活の全体が見えてきました。 しかし、産卵場までの道すじ、どのようにして産卵場を見つけるのか、産卵場の地形や水深、産卵の様子など「謎」もたくさん残っています。

参考資料
日高敏隆(監).1998.日本動物大百科 第6巻 魚類.平凡社.  川耶部浩哉・水野信彦.1989.日本の淡水魚.山と渓谷社.
小澤貴和・林 征一.1999. ウナギの科学 解明された謎と驚異のバイタリティー,恒星社厚生閣.
Skcleton, PII.1993,Acomplcte guide to the freshwatcr fishes of southcrn Africa.Southern Book Publishers. HalFway House .  多部田修(編).1996.ウナギの初期生活史と種苗生産の展望.恒星社厚生閣.
       一6--

 ウナギのレプトケパルス

  

  魚の子供(仔魚)は、生まれてすぐの時以外、親によく似ているのがふつうです。ところが、なかにはカレイやヒラメのように成長するにつれて体の形が急激に変化する魚もいます(おさかな情報N0.3を参照)。これは変態といいます。ウナギの仲間も変態します。親は細長い形ですが、仔魚(幼生)は薄く柳の葉のような形をしているのでとくに葉形仔魚(レプトケパルス、小さな頭という意味)と呼ばれます。 赤血球がなく、体は粘液で満たされていて半透明です。これは、敵に見つかりにくく、また海水に浮きやすくするための工夫と考えられています。

  ウナギのレプトケパルスについては、最近では産卵場を特定できるほど多数採集されていますが、1960年代まではわずか3回の採集記録しかありませんてした、1935年に内田恵太郎博士が東シナ海から、1957年と1969年には松井魁(いさお)博士が南西太平洋と台湾南端沖のバシー海峡からそれぞれ報告したものです。しかも、その後の研究で、1969年のものだけがウナギで、それ以外はそれぞれウツボ科やノコバウナギ科のものであることがわかりました,当時の世界的な研究者が見まちがえるほどレプトケパルスは特徴が少なく、種類の区別が困難なためです。日本周辺に分布する約150種のウナギ目魚類のうち、子供(レプトケパルス)がわかっているものは、今日でさえ、ウナギ・マアナゴ・クロアナゴ・ハモなど10種類ほどしかありません、

  レプトケベルスという仔魚期を経るものには、ウナギ目魚類のほかにフウセンウナギ目・カライワシ目・ソコギス目魚類があります。レプトケバルスの大きさはふつう20cm以下ですが、なかにはソコギスの仲間のように2mにもなるものもいます。

                                     
ウナギの変態
 
   
 ふ化直後 3mm、変態直前 60mm、シラスウナギ(変態後) 5 0mm



 ウナギの生産

  スーパーなどでウナギの安売りを見るのは日常的になりました。現在の日本では1年間にどのくらいのウナギが消費されているのでしょうか。漁業・養殖生産統計によると、1997年に生産・輸入(供給量)されたウナギは9.4万トンでした。これは国内で消費される水産物のおよそ1%に当たります。図1は、1960年代から現在までのウナギの供給量の変化を示したものです。この図をもとにウナギの生産・輸入の変化について見てみましょう。

 
          図1 日本のウナギ供給量の経年変化(トン) (漁業・養殖統計年報より)



 漁業

  ウナギの漁業は古来より[日本各地で行われてきましたが、一度に大量に漁獲することはむずかしく、また家内的に消費されるものもあって昭和初期でも2千トンくらいでした。その後、河川の改修や水質汚染などもありましたが、漁獲量が急激に減ることはなく、徐々に減少し現在に至っています。平成9年の漁獲量は860トンでウナギの全供給量の約1%にあたります。

  主な産地は、青森県、茨城県、岡山県、福岡県、徳島県、高知県などで自然の河川や湖沼の残っているところが多いようです。天然のウナギは暗褐色からやや緑色がかっていて、腹側は黄色みを帯びています。河口付近のものは「あお」と呼ばれることがありますが、この場合青ではなく緑色のことです。味は住んでいる場所によって異なり、泥底のものは泥臭く、清流や河口のものは臭みが少ないといわれます。

  ウナギの薬味としてかかせない山椒(さんしょう)は、こうしたウナギの臭みを消すために使われたものです。人気の高い天然物ですが、大きさや身質がまちまちであるなどの問題もあり、最近質の向上してきた養殖物を好む人もいます。


          

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 養殖

  ウナギの養殖は、シラスウナギを育てるという方法で明治時代に始まりました。ウナギの養殖量は、昭和3年には天然ウナギの漁獲量を上回り、昭和17年には天然ウナギの4倍(約1万トン)になりました。第二次世界大戦による停滞の後昭和40年代には2万トンに達し、昭和54年から平成5年までは3万〜4万トンを生産しました。しかしその後減少傾向にあり平成9年には2.4万トンにまで落も込んでいます。これはウナギの全供給量の26%にあたります。
  現在国内における主な養殖地は愛知県、鹿児島県、静岡県、宮崎県、高知県、三重県、徳島県などです。南日本に偏っているのは温暖な気候がウナギの養殖に適しているからです。養殖のウナギは、体色が青みがかった灰色をしています。味は「川臭さ」がなく大味だという人もいますが、天然物と比べそれほど遜色はないようです。近年、餌代や人件費、シラスウナギの価格などコストは年々高騰し、養他業者の数も最盛期の1/3近くに落も込んでいます。最も大きな問
題は、シラスウナギの減少です。シラスウナギは海から川へ上るところをつかまえますが、その数は激減し価格も鰻登りです(1997年にはシラスウナギ1匹が約240円にもなりました)。中には中国(日本ウナギ)やフランス(ヨーロッパウナギ)、アメリカ(アメリカウナギ)などからシラスウナギを輸入しているところもありますが、海外でもシラスウナギは減っているようです。しかも、ウナギの完全養殖はまだ実用化にはいたっていません。今後もウナギ養殖を安定して続けるために、ウナギの資源調査と保護が求められるようになりました。

    
             (津谷後人.1995より)


 輸入

  現在、国内の養殖ものに代わって多く出回わっているのが輸入のウナギです。ウナギの輸入は昭和40年頃から始まりましたが、当初は生きたウナギが生体でした。昭和45年の輸人量は約500トンで、ウナギの全供給量の3%にすぎませんでした。その後ウナギの輸入は順調に増え、昭和60年には4万トン、ウナギの全供給量の50%を占めるまでになりました。
  近年、東南アジアなどでは日本の技術で養殖から加工までを行い、コストを押さえた安い蒲焼きを生産できるようになりました。現地で加工されたウナギは、味も外見も国産ウナギとほとんど変わらないようです。そのため平成9年には約7万トン、全供給量の73%が輸入もので、このうち5.5万トン、8割が加工品(蒲焼きなど)でした。主な輸入先は中国、台湾、マレーシア、タイ、ベトナムなどです。アジア各国で生産されるウナギは現地で養殖されたものです。養殖に使われるシラスウナギは、日本ウナギや東南アジアに分布する数種など各国の沿岸でとれるもののほか、ヨーロッパやアメリカなどのものもたくさん使われているようです。今後も輸入ものは、目本のウナギ消費を支さえてゆくことと思われますが、その養殖に使われるシラスウナギも天然ものにたよっていることを考える必要がありそうです。



         
ヨーロッパウナギ(Hoestlandt ed.,1991より)      アメリカウナギ(Scotto&Crossman、1973より)
参考資料
 農林水産省統計情報部.1999.漁業・養殖業生産統計年報.  小澤貴和・林 征一.1999.ウナギの科学 解明された謎と驚異のバイタリティー,恒星壮厚生閣.  佐藤隆二・大谷浩己.1997.鰻’お国自慢.サライ,9(15):18-43.  水産庁水産流通課.1998,水産貿易統計.  多部田 修.1991、世界のウナギ類、特に養殖可能な種類.水産増殖、39(2):224.
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----------築地魚市場おさかなニュース-----------

 築地魚市場の“ハモとスズハモ

  夏の魚にハモがあります。ハモは身の中にたくさんの小骨(肉間骨)をもっているため、ほね切りをします。さっと湯通しして白い花が咲いたように見える身に梅肉をつけたり、蒲焼き、どびん蒸しなどで賞味されます。関東での人気は今一つですが、関西では夏の風物詩としてなくてはならないものです。
  ハモは北海道以南のインド・西太平洋に分布しますが、日本近海では瀬戸内海や東シナ海に多く、主な生産地は長崎県、愛媛県、福岡県、山口県などです。平成9年の全国の漁獲量は約2000トンで、このうもの9割が西日本で漁獲されたものです。このため関西では身近な魚として古くから利用されてきたのです。
  一方、東京中央市場に入荷するハモは、この10年間減少傾向にあり平成9年は116トンでした。この中には韓国や中国などからの輸入と考えられるものが30%あります。築地魚市場では、国産の活ハモが最も高く、輸大の活・生鮮ハモは比較的安い値段で取引されています。

  ウナギ目ハモ科ハモ属の魚は世界に何種類か知られていますが、日本に分布するのはハモ1種類だと長い間考えられていました。しかし片山博士と高井博士が瀬戸内海のハモを調べたところ2種類が混ざっていることがわかりました。このうち一方は、1954年に新種スズハモとして発表されました。ところが、1975年にキャッスルとウィリアムソンが世界中のハモ属魚類を調べたところ、このスズハモは1822年にインドから新種として報告され、インド・西太平洋に広く分布している種と同じでした。つまり日本のハモは2種類で、どもらもインド・西太平洋に広く分布していることがわかったのです。

  ハモとスズハモはたいへんよく似ており、色や形だけでは識別できません。最もわかりやすい区別点は、肛門の位置より前にある側線の穴の数です。ハモは40から47、スズハモは35から38でハモよりやや少なくなっています。しかし、外見が似ており身質にも差がないので築地魚市場では区別されずにハモとして取引されています。むしろ鮮度や産地の方が重要視されます。あなたも、どこかでハモを丸ごと見かけたら、側線の穴を数えてみてはいかがでしょうか。

 

参考資料
Castle, P. H. J. &G. R, Williamson. 1975.Systematics and distributjon of eels of the Muraeneox group(Anguilliformes, Muoraenesocidae).A
   preliminary report and key. J. L. B. Smith lnst. lchthyol.,Spec. Publ.,(15):1-9.
Katayama, M. &T. Takai.1954.A new conger-like eel,Muraenesox yamaguchiensis,from the lnland Sea of Japan. J・ lchthyol. 3(3-5):
   97-101
農林水産省統計情報部.1999.平成9年漁業・養殖業生産統計年報.農林統計協会.
山田梅芳・田川 勝・岸田周三・本城康至.1986 東シナ海・黄海のさかな.西海区水産研究所.長崎.

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  次回の展示テーマ

 
「インド洋の魚」
1999年10月l日〜12月30日
 築地魚市場には世界中の海から魚が入荷します。インド洋やその周辺海域からの魚も少なくありません。日本でもふつうに見られるフエダイ類、ハタ類、マナガツオ類、タチウオ類などの仲間が鮮魚や冷凍魚として入荷します。展示では、市場で見られる様々なインド洋の魚を紹介します。

   一10ー