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おさかな情報 No.6 1999年4月


1999年度 第1回展示テーマ 
    「 東京湾の魚 」


        イワシ
 上 スズキ       右 ウナギ
 下 シラウオ

         マハゼ

        目次
はじめに・・・・・・・・・・・ 1
東京湾の歴史・・・・・・・・・ 2 
東京湾における漁業の歴史・・・・・ 4
「江戸前とはどこだろう」………6
今の東京湾では見られなくなった魚……7
東京湾の魚・・・・・・・・・ 8 
築地魚市場おさかなニュース 
 
築地市場の”ゴリとイサザ”……10
次回の展示テーマ・・・ 10


はじめに

  現在、築地魚市場の魚は日本だけでなく世界各地から入荷しますが、江戸時代から明治時代にかけては魚河岸(日本橋)の魚といえはほとんどが東京湾でとれたものでした。
  東京湾での漁業は、約9000年前の縄文時代に始まり、江戸時代に大いに発展しました。魚獲量が最大になったのは1960年で、約14万トンもありました。その後、環境の変化や理め立てにより魚獲は減り続け、最近では総漁獲量が3万トンを切るようになりました。日本の近代化にともなって姿を変えたとはいえ、今でも東京湾が漁場の一つであることには変わりありません。
  展示では、東京湾における漁業の歴史やマコガレイ、マアナゴ、マハゼ、スズキなど「江戸前の魚を紹介します。




 東京湾の歴史

 東京湾が「東京湾」と呼ばれるようになったのは1868年の明治維新以降のことです。江戸時代末期の書物には武江や江湾という表現が、また欧米の地図には江戸湾という名前が見られます。沿岸の住民は、かなり昔から、江戸浦あるいは江戸前と呼んでいたようです。
 地質学的研究から、約50万年前から10万年前にかけては氷河の拡大・縮小にともなって海面が低下と上昇を繰り返したことがわかっています。たとえば、海面の上昇の時代には関東平野が広く海湾になりました(図2)。 この頃の東京湾は「古東京湾」と呼ばれます。
 「古東京湾」の時代の終わりの頃から氷河の拡大が始まると、海面は低下し、約2万年前には今より100メートル以上下がったといいます。その結果、束京湾は「古東京川」の川谷とその支谷の下流部が位置するところとなりました。
 約1万5000年前から6000年前までは世界的な海面上昇期で、これによって「古東京川」とその支谷が沈んで東京湾の原型ができました。約1万年前以後のものを縄文海進(かいしん):海面が上昇して、陸地が海になる)といいます。この時に、現在の東京湾より内陸まで入った「奥東京湾」などの入江ができました。この頃、湾岸で生活していた縄文人が採集した魚介類は、たくさんの貝塚として見ることができます。
 約6000年以後、小さな昇降はありましたが、海面はほぼ安定していました。今日の人の手の加わる前の海岸線は、その後の河川の堆積物などによって形づくられました。
 江戸時代以後、港の整備、河川のつけ替え、放水路・運河の造成など、数多くの工事が行われました。工業用地としての埋め立ては明治時代以後に始まりましたが、大規模な埋め立ては1960〜1970年代に行われました。このため、現在残っている白然の干潟は盤州・三番瀬・三枚洲ぐらいになりました。最近ては人工渚が数ヶ所つくられています(図1)

      
参考資料
貝塚爽平(編).1993.東京湾の地形・地質と水.築地書館.
高橋在久(編〕.1993.東京湾の歴史.築地書館.

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 東京湾における漁業の歴史

 東京湾における漁業の歴史は、約9000年前の縄文時代にまでさかのぼることができます。
当時の貝塚からは、マアジ・クロダイ・スズキ・コチ・ボラ・フグ類・サメ類・マカジキ・へダイなど、の魚の骨のほか、アサリ・シオフキ・オキシジミ・キサゴ・ハマグリなどの貝殻が出土します。
 その後、武士階級の台頭、江戸城築城などで人口が増加し、これにともなって漁業も発達しました。最も大きく発展したのは江戸時代で、江戸幕府の成立にともなって、上方(関西)から進んだ漁具・漁法が取り入れられました。この時には、漁民も移住し、東京湾の漁業は大いに進歩しました。江戸時代前半の東京湾漁業は、肥料用のイワシ漁が中心でした。
その後、江戸の人々の食用としての漁業もさかんになりました。表1は江戸時代後期の主な漁獲物をまとめたものです。 当時の漁獲量は不明ですが、種類は現在漁獲されているものとあまり変わりません。この時期には、規模を別にして漁法も今日見られるものがほぼ出そろいました。
 
日本で漁獲統計がとられるようになったのは明治30年(1897)からです(図1)。第二次世界大戦前のピークは昭和10年頃にありました。この時の年間漁獲量はマイワシ4000トン、ボラ1000トン、ウナギ、カレイ・ヒラメ類がそれぞれ400〜500トン、クロダイ、マハゼ、コノシロがそれぞれ100〜200トン、シラウオが50〜60トン、貝類は多く、アサリ6〜7万トン、ハマグリ8000トン、カキ600トン。イカ・タコ類とエビ類もそれぞれ600トン。このほかシャコ400トン、カニ類300トン。当時はノリの養殖も日本一で、アサリとノリが漁場としての東京湾の特徴でした。しかし、この頃から東京湾は、産業の発展と人口の増力により、すでに水質汚染が進みつつありました。
 
大戦直後、食糧増産のために漁業の復興は速く、漁獲量は戦後まもなく戦前のピークを超え、昭和30年(1960)には約14万トンという最高記録を達成しました。図2は当時の主な種類と漁獲量をまとめたものてす。この復興期は、また、汚染の開始の時期でもありました。この頃から、ハマグリ・カキ・ガザミ・クロダイなどが滅り始めます。シラウオが東京都の漁獲続計から消えたのは1957年のことてす。
 1960年から1970年にかけては、埋め立てと汚染の進行により東京湾の漁業環境は最悪でした。
 1970年代になって環境はやや回復してきましたが、1960年代から続く漁家の滅少もあり、漁獲量は減り続け、1980年には1970年の半分、戦後のピーク時の1/3以下となりました。
 総漁獲量は1960年以降、滅り続け、最近では3万トン以下となっています。貝類が減ったのは漁家数の減少のためであり、魚類の滅少はマイワシの漁獲が滅ったためです。最近、水質の回復がいわれていますが、給漁獲量の滅少と漁獲組成の貧困化すなわち漁獲される種類の滅少には歯止めがかかっていないようです。


  
     図1 東京内湾の漁獲量の変遷(トン)    (清水、1997より)

      
   図2 内湾主要種の1950年代後半の漁獲量 (トン) (清水、1997より) 
参考資料
清水試.1997.水産生物.沼田 真・風呂田利夫(編)東京湾の生物誌.築地書館.
東京都内湾漁業興亡史編集委員会(編).1971.東京都内湾漁業興亡史.棄京都内湾漁業興亡史刊行会


表1  江戸時代の東京湾主要漁獲物(文化13年調)
 (清水、1997より)

ボラ イカ サヨリ クロダイ カイズ サワラ
アジ コノシロ アナゴ シラウオ スズキ ハゼ
イナダ マコガレイ シラス イワシ セイゴ サメ
フッコ エボダイ カレイ ホシガレイ イイダコ イシダイ
ハモ ホウボウ ホシザメ ヘダイ オコゼ ブリ
タイ タチウオ ネズッポ ウナギ コチ コショウダイ
アカエイ サバ サッパ メイタカレイ メゴチ シマアジ
シタビラメ アイナメ ハマグリ カキ アサリ シジミ
ヤエンボウ バカガイ サザエ トリガイ オオノガイ サルボウ
シオマネキ クルマエビ シバエビ シンチウエビ テナガエビ シヤコ
カニ エビザコ イシガニ

    一‐4−‐


       江戸前とはどこだろう

 私たちが日頃よく耳にする[江戸前]とはどのあたりのことをいうのでしょうか。これまで様々に議論されていますが、ここでは高橋(1993)による最近の考察を紹介します。
 「中央区史」には、次のような文政2年(1819)の魚河岸肴問屋の文書があります。
 「江戸前と唱え候場所は、西の方、武洲・品川洲崎一番の棒抗と申場所、羽田海より江戸前海へ入口に御座候。東の方、武洲・深川洲崎松棒抗と申場所、下総海より江戸へ入口に御座候。右壱番棒と松抗棒を見切りと致し、夫より内を江戸前海と古来より唱え来り候。」
 天保15年(1730)の船橋浦漁業史料には、「かいがみよりはねだ浦まで」となっています。また、「東は中川、西は品川宿」とする、明治生まれのある漁業者の話も紹介しています。
 これらの範囲は少しづつ違いますが、ほぼ羽田沖から江戸川河口までのかなり狭い範囲をさしています。
 ところが、中央区史には、内湾の全域をさす説も紹介されています。
 「相模の走水と、上総の富津洲との間にひいた一線から内の東京湾一帯を内海と唱え、その中に花田海・下総海などがあり、魚河岸膝下の漁場をなしていたのである。」
 この説をうけて、池田弥三郎(「日本橋私記」より)は、「”内海”は、羽田の海とか、下総の海とか、細部の名称はあったけれども、要するにそこで捕れた魚はすべて魚河岸において集散した。江戸日本橋の魚河岸において、集まり散ずる魚のとれる海域、それは「江戸前の海」である、という考え方であろうか。」と述べています。
 以上のことから、高橋は「広い江戸前(拡大された江戸前)」と「狭い江戸前(限定された江戸前)」があったと結論しています。
 現在の築地魚市場では、「広い江戸前」が使わています。しかしながら、「広い江戸前」の定義である「…江戸日本橋(今でいえば、築地)の魚河岸において、集まり散ずる魚の捕れる海域、それは「江戸前の海」である…」をそのまま正確に現代にあてはめて考えてみると、築地には世界中から魚が集まってくるので、「現代の江戸前」は世界中の海ということになります。


参考資料
高橋在久(編).1993.東京湾の歴史.築地書館 
                 


  一6ー


   今の東京湾では見られなくなった魚
           脚立釣りアオギス
 アオギスアオギスと脚立

 ヤギスとも呼ばれます。40cmを超える大きなキスで、背鰭(せびれ)に黒点があり、腹鰭(はらびれ)が黄色いのでシロギスと区別できます。
昭和40年頃まで束京湾のキス釣りといえばアオギスのことでした。非常に警戒心が強く船の陰もきらうため、浅瀬に脚立(きゃたつ)を立てて釣る独特の釣り方が発達しました。これが東京湾の初夏の風物誌でもありました。しかし、河川が流れ込む水のきれいな干潟を好むアオギスは近年の水の汚染や、干潟の埋め立てなど、によって束京湾では絶滅してしまいました。


 シラウオ

 河口などの汽水域にすみ、3月から5月にかけて沿岸や川底の細かい砂泥底に産卵します。江戸時代から隅田川のシラウオは、将軍家や天皇に献上されたほか、春を告げる魚として庶民の間でも人気がありました。明治時代でも日本橋あたりでとれたという記録があります。
その後、河川の汚染や埋め立てなどによって姿を消したと思われていましたが、最近の調査で江戸川の河口からシラウオ(イシカワシラウオ)が見つかりました。しがし、その数は少なく、以前の春を告げるほどではありません。
サワラ

 サワラ

 小型のものは「さごし」とも呼ばれます。沿岸の海面近ぐを泳ぎまわりほかの魚やイカを食べています。ときには大きな群を作ります。6月から9月下句まで品川や浦安沖の水深7〜9mの海域に来遊し、これを浮き延縄(はえなわ」と流網(ながしあみ)で漁獲していました。大正時代には150トンもの漁獲がありましたが、昭和2年以後まったくとれなくなってしまいました。現在でもとなりの相模湾では沿岸の定置網(ていちあみ)で漁獲されますが、東京湾内に入り込むことはほとんど、ありません。

ハマグリ

 ハマグリ

 日本の在来のハマグリには、ハマグリとチョウセンハマグリの2種類があります。ハマグリは河川の流入がある内湾にすむため、殻は薄く、ふくらみがあり、身が厚めです。チョウセンハマグリは外海に面した砂浜にすむので、殻は厚く、ふくらみが弱く、身は薄めです。どちらもそれぞれの産地では単にハマグリ、もしくはその土地のハマグリということで地ハマ(じはま)と呼んでいます。東京湾では、羽田や江戸川から船橋あたりの干潟に見られました。しかし、内湾のハマグリは、東京湾をはじめ、日本各地の生息場所が開発や汚染などによってほとんど失われてしまいました。さらに最近では、中国などから輸入されたシナハマグリとの交配が進み、絶滅の恐れがあると考えられています。


参考資料
小菅丈治.1995.ハマグリどうなっているのか. 水産の研究.14(16)
東京都公文書館.1978. 佃島と白魚漁業.都史記要26.東京都
東京都内湾漁業興亡史編集委員会(編).1971.東京都内漁業湾興亡史.東京都内湾漁業興亡史刊行会
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       東京湾の魚

 現在の東京湾でみられる魚は何種類ぐらいでしょうか。最近の調査では、東京湾奥から83種、横浜周辺から238種が記録されています。この中には、海流にのって湾の外から運ばれたものなどまれにしかみられないものも含まれおり、これらを除いた普通種はおよそ50種類です。ここではその中で水産上重要なものを取り上げます。


 マアナゴ

 湾口から湾奥まで広く分布し、昼は砂泥底にもぐり、夜間に餌(えさ)を求めて泳ぎまわります。主に羽田沖から横浜沖のアナゴ筒(つつ)で漁獲されます。岸壁などからの夜釣りの対象としても人気があります。羽田沖で操業しているアナゴ漁の漁船は、築地魚市場に直接水揚げする数少ない漁船の一つです。近年漁獲量は滅少傾向にあり、小さいアナゴを漁獲しないよう筒の改良などが検討されています。築地魚市場には全国各地からマアナゴが送られてきますが、江戸前のアナゴは人気が高く高値て取引されています。


 マイワシ、カタクチイワシ

 湾口から湾奥まで広く分布し、海面近くでプランクトンなどを食べています。巻網(まきあみ)で漁獲され、主に船橋に水揚げされます。年(こよって漁獲量が大きく変化し、5年ほど前は6〜7千トンも漁獲されますが平成9年には数十トンしかとれませんてした。イワシの他、アジ、サバといった大きな群を作る魚は漁獲量の変動が大きいことが知られていますが、その原因はまだよくわかっていません。


 
コノシロ

 湾全域に広く分布し、河口にも入り込みます。主に巻網や巻利網(まきさしあみ)で漁獲されます。富津、船橋、浦安、築地、鴨居などに水揚げされます。東京てはコハダと呼ばれ、築地魚市場では小型のもののほうが値が高くなっています。寿司種として珍重されるためです。



 スズキ

 湾全域に広く分布し、小さいものは河口にも入り込みます。主に巻刺網、巻網で漁獲されるほか、最近流行のルアーフィッシングの対象としても人気があります。富津、金田、船橋、浦安、築地などに水揚げされます。羽田沖で操業する巻刺網漁船は、5月から10月にかけて築地魚市場に直接水揚げします。湾口付近では去年と今年の冬と2年続けて大漁となりましたが、冬場のスズキは身が痩せており非常に安い値段で取引されました。
 一8一
ハゼ
  マハゼ

 湾全域に分布しますが、河川の流入のある場所に多く見られます。湾奥では、5月頃にその年に生まれた5cmくらいの若魚が岸近くの浅瀬にたくさん現れます。その後11月から12月には沖合いに移動し、2月に水深5〜10mの細かい砂や泥底に巣穴を掘り、3月から4月に産卵します。しかし、近年の埋め立てによって産卵の場が狭められています。主に釣りで漁獲されるほか、レジャーでの釣りの対象として古くから親しまれています。


 ボラ
 湾口から湾奥までの沿岸に広く分布します。小形のものが河口などの水面に群れをなして泳いでいるのを見かかます。主に巻刺網、巻網で漁獲され、富津、船橋、行徳、築地など、に水揚げされます。


 ネズッポ類

 湾中央から湾奧にかけての砂泥底に分布します。東京湾で見られるのはハタタテヌメリ、ネズミゴチ、トビヌメリの3種です。主に底曳網(そこびきあみ)で漁獲されます。富津や小柴で水揚げされます。築地魚市場てはメゴチと呼ばれ、種類の区別はされません。

 カレイ類
カレイ
 東京湾で漁獲されるカレイは、主にイシガレイとマコガレイてす。特にイシガレイは昔からカレイと言えばイシガレイを指すほどたくさんとれましたが、稚魚の生活場所である浅瀬が滅少したため、近年ではマコガレイのほうが多く見られるようです。主に底曳網、刺網で漁獲されます。富津、金田、船橋、行徳、浦安、小柴などに水揚げされます。


 以上のほか、アカエイ・サッパ・ヒイラギ・クロダイ・マアジ・シロギス・ウミタナゴ・ギンポ・アイナメ・コチなど、の魚類、アサリ・バカガイ(あおやぎ)・アカガイ.タイラギ(平貝)・アカニシなどの貝類、シャコ・サルエビ.クルマエビなど・の甲殻類、マダコ・イイダコ・ジンドウイカ・コウイカ(すみいか)などの頭足類、海苔(のり)などが漁獲されています。


参考資料
関東農政局神奈川統計情報事務所(編).1998.神奈川農林水産統計年報(水産業編)平成9〜10年.
関東農政局千棄統計情報事務所(編).1999.千棄農林水産統計年報(水産編)平成9年.
工藤貴彦・林 公義.1996.横浜市沿岸域の魚類相調査〔1994年度).横浜市環境保全局.
工藤孝浩・瀬能 宏.1997.横浜の魚たち.生命の星 地球物語,(19).
東京都環境保全局水質保全部水質監視課(編).1990.東京の川と海のいきもの.
東京都労働経済局農林水産部水産課(編).1998.東京都の水産.
東京都水産試験場・1985.東京湾奥部におけるマハゼの産卵生態について.都水試調査研究要報,182.
海をつくる会(編).1995.横浜・野島の海と生きものたち.八月書館.
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--------------築地魚市場おさかなニュース------------

 築地魚市場の“ゴリとイサザ”

 春先に出回る魚の一つにゴリとイサザがあります。このゴリとイサザ、地方によって異な
る魚をさす場合があります。築地ではどの魚のことでしょうか。

 イサザ           イサザ とシロウオ
 図鑑でイサザをひくと黒っぽいまだらの魚がでてきます。これはハゼ科のウキゴリの仲間で琵琶湖だけに分布する魚です。ごく少数ですが築地にも入荷し、イサザの名で売られます。しかし、築地でイサザといった場合、ほとんどはシロウオをさします。逆にシロウオと言う名はほとんど通用しません。シロウオもハゼ科の魚で、日本各地の水のきれいな沿岸にすみ、春先になると川に上り産卵します。この川に上るものをとり、ビニール袋に酸素を入れ、活魚として送られてきます。以前は地方で消費されるだけでしたが、1970年頃活魚で輸送する方法が考え出され、築地には1985年頃から入荷するようになりました。最初のうちは生で入荷し呼び名も「ドロメ」でしたが(ドロメもハゼ科の別の魚)、活魚が増えるとともにイサザの呼び名が定着しました。なぜシロウオをイサザと呼ぶようになったのかははっきりしませんが、北陸地方ではシロウオのことをイサザと呼んでおり、出荷地の呼び名がそのまま使われるようになったのかもしれません。最近では佐賀県唐津付近から送られてくるものをよく見かけます。


 ゴリ           
 ゴリ
                   ヨシノボリ 
            
      
                  アユカケ
 ゴリは、近畿や高知県では川にすむ小型のハゼ類の、北陸では川にすむカジカ類の呼び名です。高知県では主にハゼ科のヨシノボリ類をゴリと呼び、ゴリを追い込む漁法から無理を通す「ごり押し」という言葉かできました。ゴリ料理で有名な福井県では、本来ゴリはアユカケ(カジカ科)のことでしたが、近年アユカケが滅少したためカジカが代わって使われています。築地では川にすむ小型のハゼもカジカもゴリと呼ばれます。しかし、カジカの入荷が少ないためほとんどはウキゴリ、ビリンゴ、ヌマチチブ、ヨシノボリ類などの小型のハゼです。琵琶湖、霞ヶ浦、青森や北海道など日本各地から活魚で送られてきます。

参考資料
道津喜衛.1980:春を告げる,ハゼーシロウオ考・淡水魚(6)47-50.
川那部浩哉・水野信彦編・1989.日本の淡水魚.山と渓谷社
日本魚類学会(編).1981.日本産魚名大辞典・三省堂

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  次回の展示テーマ
 
鰻(うなぎ)と日本人
1999年7月l日〜9月30日
 鰻は日本人にとってなじみの深い魚の1つです。万葉集(奈良時代)にも「むなぎ」の名前で登場します。「蒲焼き」は今では、養殖伎術の進歩により、いつでも食べることができるようになりましたか、日本の夏の風物詩であることに変わりありません。展示では鰻の生活や鰻の仲間のほか、日本人とのかかわりなどを紹介します。

   一10ー