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おさかな情報 No.5 1999年1月


1998年度 第4回展示テーマ 
    「 鯛と日本人 」
    

        目次
はじめに・・・・・・・・・・・ 1
鯛と日本人・・・・・・・・・ 2 
「鯛の九つ道具」・・・・・ 6
現代の日本人が食べている鯛………8
築地魚市場で見られる世界の鯛……9
築地魚市場おさかなニュース 辛い“めごち”……10
次回の展示テーマ・・・ 10


はじめに

 日本を代表する魚である鯛は日本人か最も古くから食用とした魚の1つです。約5千年前 の縄文時代の遣跡からも骨か出土します。日本最古の歴史書である奈良時代の「古事記」に も登場します。「鯛」という漢字もすでに風土記、日本書紀、万葉集で見られます。武士階級が台頭する鎌倉時代あたりから、鯛はその見栄えのする姿形がますます好まれ、室町時代 になると上等な食材として重用されるようになりました。江戸時代に鯛は「魚の王」としての地位を確立し、今日に至っています。
 展示では、鯛と日本人との関係や築地魚市場に人荷する日本と世界の様々な鯛を紹介します。


                       「魚盡錦絵」(安藤広重、1840頃)より

鯛と日本人

 遺跡、漁法、料理書、鯛の図、名前の由来から、鯛と日本人の関係を考えてみたいと思います。ここでいう鯛は「マダイ」のことです。

“遺跡から考える”

 日本人は昔から鯛を食料として利用していたといわれていますが、その証拠となる骨は約 5千年前の東北地方以南の縄文時代の遺跡(貝塚)から発見されます。
 平安京跡からもコイなどに混ざって鯛の骨が出土します。これは日本客地から貢ぎ物として京都まで運び込まれたものと思われます。
 最近行われた大阪魚市場跡の調査によると、安土桃山時代から江戸時代初期の遺跡から、鯛とハモ類の骨が多く発見されています。シイラ・マグロ類・サワラ類・ブリ類・スズキな どがこれに次ぎます。
 江戸時代の大名屋敷跡や武家屋敷跡からは、多くの魚類の遺体が貝類や鳥類の遺体などとともに出土します。とくに多く出土するものは、貝類ではハマグリ・シジミ・アサリ、鳥類ではニワトリ・カモ類、魚類では鯛です。たとえば、港区郵政省飯倉分館構内遣跡(出羽米沢藩上杉家中屋敷と豊後臼杵藩稲葉家下屋敷跡)からは、貝類36種類、鳥類9種類、魚類26種類など出土しています。魚類では鯛が圧倒的に多く、カツオ・マグロ・ブリ・マダ ラ・ヒラメ・カレイ・サバ・アジ・イワシなどがこれに次ぎます。この遣跡から出土した鯛の遺体の8割近くのものの頭骨には切断痕(せつだんこん・切ったあと)があり、ほとんどの場合、縦に切断されていました(兜割?)。おそらく荒炊きにされたのでしょう。また、出土した2割程度の遣体には背骨の側面に切断面がみられ、2枚または3枚おろしにしたものと思われます。
このような遺跡の調査から、日本ではかなり古い時代から鯛は食材としては非常に重要で あったこと、江戸時代の基本的な調理法(おろし方など)は今日と変わりないことなどがわかっています。

          
           週間朝日百科「世界の食べもの」日本編(1982)より

“漁法から考える”
 縄文時代の遺跡からは、石で作った網漁用の錘(おもり)、シカの骨から作った銛(も り)やイノシシやシカなどの骨から作った釣針が出土します。当時は網、ヤス,銛や釣りで 鯛を捕っていたようです。弥生時代に釣針は骨製から金属製に変わります。鯛の釣りといえばふつう1本釣りと思われがちですが、奈良時代にはすでに延縄(はえなわ:鯛の場合は 「鯛縄」という)でも釣られていました。「古事記」にその記録が残っています。延縄は長 い1本の幹縄(みきなわ)からたくさんの枝縄(えだなわ)を出し、それぞれの枝縄に釣針を付けたものです。江戸時代には鯛縄が書物にたびたび現れるようになります。 室町時代になると鯛の網漁がかなり発達しました。海岸を歩いて網を引き回すだけであっ た徒歩地引網(じびきあみ)が、舟を使う船曳網(ふなびきあみ)、鯛をおどして集める地 漕網(じこきあみ)、曳網を海底に下ろして船を止めて引き回す手繰網(てぐりあみ)ヘと 進歩しました。しかし、鯛をとる網漁法が基本的に鯛をおどして網の中に集める(葛網(か づらあみ)と総称されます)という点は変わりませんでした。江戸時代には網漁業はさらに 発達し、地漕網、沖取網、縛網(しばりあみ、鯛曳網、五智網(ごちあみ、千繰網、鯛 刺網(たいさしあみ〕などが行われました。  鯛の漁法の歴史をみると、当時の人々が鯛をとるためにいかに知恵を絞ってきたがわかり ます。いつの時代でも日本人にとって鯛は重要な魚であったためと思われます。今日では鯛は1本釣、延縄、五智網、底曳網などにより漁獲されています。また、養殖も盛んに行われ ています。

                   鯛五智綱(たいごちあみ) ・日本山海名産図会(蔀 関月、1799)より
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”料理書から考える”

 縄文や弥生時代には焼いたり、煮たりして食べていたことが、遺跡から出土した骨の研究からわかっています。 奈良時代には料理書と呼べるものはありませんが、「万葉集」には鯛(おそらく生で)を 醤酢(ひしほす:“ひしほ”は小魚を塩に漬けて発酵させたもの)につけて食べたという歌があります。現代なら、刺身を酢醤油で食べたことになります。 平安時代になると“料理”(‘加工”のほうが正しいかもしれません)の記録が出てきます。この時代の政府の慣例集である「延喜式」には、楚割(すはやり:肉を細く割いて干し たもの)・キタイ(きたい:まるごと干し固めたもの)・脯(ほしし:干物)・甘塩・塩作・醤 などが、志麻(志摩)、参河、三河)、若狭、紀伊、和泉、伊勢、讃岐、太宰府などから、貢ぎ物として献上されたことが報告されています。これ以外に“なれ鮨”(酢ではなく、飯の発酵による鮨)もあったと考えられています。いずれも保存食と呼べるものですが、当時、京までの長い道のりを運ぶには、このような工夫が必要だったと思われます。 鎌倉時代の料理の作法を述べた「厨事類記」には、鯛の鱠(なます:生魚を簿く切って酢 に潰けたもの〉・醤・面向(右側だけを焼いたもの)・汁が出ています。 鯛が食材として重用され始めたのは室町時代といわれています。「四條流庖丁書」(公 家)には、鱠(なます)・さし味(生魚を厚く切ったもの:今日の刺身と思われます)・う しほ煮(海水で煮たもの)が、「大草家料理書」(武家)には、さしみ・うしほに・かまほこ(魚肉をすり潰し、竹の串にぬりつけて焙ったもの、形がガマの穂に似る:今日の蒲鉾)がでています。しかし、それまでの鯉(こい)に代わって魚の食材の第一位になったのは江戸時代てす。上方(大阪)の家庭料埋書の1つである「素人庖丁」および江戸の料埋屋の「江戸流行、料理通」では、いずれも鯛が中心で鰭・さしみ・吸物・煮物 ・焼物・すし・かまぼこなどが紹介されています。天保年間に、角力 (すもう)に見立てて、食材の格付けをしたものがあります。もちろん、鯛が大関で第1位ですが、フグやマグロは当時はあまり高級品ではなかったようです。
「鯛百珍料理秘密箱」(102種の鯛料理を紹介)という本まで出版されています。  鯛がその見栄えのする姿形ゆえにますます好まれるようになったのは、武士階級が台頭する鎌倉時代あたりと考えられています。室町時代以降様々に調理されるようになりましたが、これにはその姿だけでなく淡泊な白身で調理しやすかったことや、日本人の細やかな 味覚も関係していると思われます。


                    「包丁里海山見立角力」(1840年)
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“鯛の図から考える”

 江戸時代には図のついた本草書や日本各地の物産誌などが数多く出版されました。ほとん どの場合、これらの書物では鯛が描かれています。このことからも、当時、鯛が江戸だけで なく日本各地で漁業上重要な魚であったことがわかります。
 日本の出版物ではありませんが、シーボルトの「日本動物誌」(1843−1850年)には、「出島出入り絵師」の川原慶賀(かわはらけいが)により描かれたマダイ・チダイな どがあります。


     「訓蒙図彙」(中村タ斎、1666)より          「北斎漫画」(葛飾北斎、1815)より


                                  「魚貝譜」 (鍬形恵斎、1813)より

“名前の由来を考える”

 マダイの名前も時代とともに変化してきました。日本最古の歴史書である奈良時代の「古事記」(712年)には、和邇(ワニ:サメのこと)・鱸(スズキ)・年魚(アユ)・志毘 (シビ:マグロ)とともに赤海ソク魚としてマダイが登場します。「ソク」はフナのことで、海にすむ赤いフナのような魚ということでしょう。「鯛」という字が初めて現れるのは出雲国 風土記(713年)です。万葉集(奈良時代末期)でも「鯛」と記されています。日本書紀 (720年)では、「ソク魚」・「海ソク魚」・「赤女(あかめ)」・「赤鯛(あかだい)」・ 「鯛魚」・「鯛女」という字が当てられています。
 平安時代の本草書「本草和名」には「鯛 和名多比(タヒ:タイのこと)」、「延喜式」 には「平魚(たひ)」とでています。鎌倉時代には「鯛」・さくらだい(桜の咲く頃のマダイ)、室町時代には「鯛」・「赤目鯛」、安土桃山時代の辞書には「あかめだい」・「こだい」・「おひら」とでています。「おひら」は女房(女官)詞で「ひらうを(平魚)」から きたものです。
 江戸時代には多くの辞書、木草書、産物誌、魚譜、料理書に鯛のことが記されています。 ちぬ(クロダイ)と区別するため真鯛と呼ぶこともありました。漢字としては「鯛」のほかに明の書物からとった「棘鬣魚(「鬣」は“たてがみ”のことで、背鰭に棘のある魚という意味)」も使われるようになりました。ただ、啓蒙書では「鯛」を、木草書(博物学)では [棘鬣魚」を用いる傾向がありました。明治時代の教育の場でも江戸時代と同じように、マダイを表すの「鯛]または「棘鬣魚」の両方を使っていました。明治36年(1902年)に初めて国定教科書が制定され、その後の教科書ではタイの漢字が「鯛」に統一されるようになりました。
 鯛をなぜタイ(古くはタヒ)と発音するかについては様々な説があります。たとえば 国語の発音“テヤウ・チョウ”からというものや、“大位(たい)”、“た(平ら)ひ(魚)”というものなどです。
 水産学・魚類学でチダイ・キダイなとど区別するために「マダイ」ど呼ぶようになったのは、明治13年の松原新之助「水産動物学」あたりからのようです。

参考資料
鈴木克美.1992.鯛.法政大学出版会・ 桜井準也.1992.遺跡出土の動物遺体からみた大名屋敷の食生活.江戸遺跡研究会(編)江戸のの食文化 吉川弘文館. 大阪府漁業史編さん協議会(編)・1997.大阪府漁業史.大阪府漁業史編さん協議会. 久保和士.1995.平安京左京六条三坊七町出土の動物遺体・京都文化博物館調査研究報告 第11集 「平安京左京六条 三坊七町」. 松下幸子.1996.図説 江戸科理事典.柏書房 松井魁.1983.書誌学的水産学史並びに魚学史.鳥海書房.


  「鯛の九つ道具」

 江戸時代の後期に出版された岩崎潅園の「養浩館魚鳥図」(1807年)、奥倉辰行の「水族四帖」(1850年頃)と「水族写真」(1857年)には、鯛の骨格図が描かれます。これらの書物では、全体の骨格のほかに「鯛の九つ道具」と呼ばれる大龍・小龍・鯛中鯛など小骨の図や説明がついています。小骨を様々なものに見立てて楽しんでいたようです。奥倉辰行は「鯛の九つ道具を持っていると、”物には不自由しないし、幸せにもなる”と昔から言われている」と書いています。「タイのタイ」を持っているだけでも幸せになるといわれているので*「鯛の九つ道具」を揃えたらもっと幸せになるかもしれません。 これは本当かどうかわかりませんが、「鯛の九つ道具」を探しながら食べる方が、「タイのタ イ」を探す時より、もっと、幸せな気分になることだけは間違いありません。なにしろ今度 は、”かま”だけではなく、鯛が丸ごと目の前にあるわけですから。
 もちろん、魚類学では「鯛の九つ道具」という呼び方はありません。そこで、奥倉辰行の「水族写真」の”鯛名所之図”をもとに、「鯛の九つ道具」の正体を調べてみました。
三ッ道具(みつどうぐ:前から(くわ)・(かま)・熊手(くまで):上神経棘)
鯛石(たいせき:扁平石。ふつう耳石と呼ぶもの。聴覚や平衡感覚に関係しています。奥倉によれば、「この石の大きい魚は浮ばず、驚きやすい。これは魚の心、あるいは耳である。」)
大龍(だいりゆう:前鋤骨.中篩骨.側篩骨.副蝶形骨)小龍(こりゆう:準下尾骨)
鯛中鯛(たいちゆうたい:「タイのタイ」のこと:肩胛骨.烏口骨)
鍬形(くわかた:第一神経棘)
竹馬(ちくば:第2尾鰭椎前脊椎骨の血管棘)
鳴門骨(なるとほね:一部が肥大した血管棘。全ての鯛にあるわけではありません。奥倉によれば、「本朝食鏡」に”瘤鯛(こぶだい)といい、鳴門梅峡を泳ぐと生 じる”とあるとのこと。)
鯛之福玉(たひのふくだま:等脚類の一種タイノエ、口内寄生虫:奥倉によれば、「随観写真」に”・・・長州では、・・・鯛の如く賞味する”とあるという。)

 「おさかな情報 No.3」を参照。 「タイのタイ」の作り方も書いています。
     
                      「水族写真 」(奥倉辰行1857)より

     
                             「魚類解剖図鑑」(落合 明編、1994)を改変
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現代の日本人が食べている鯛

 平成7年にわれわれ日本人が1年間に食べたタイの量は約10万トンです。内訳を見ると 国内で養殖されたものが72%と大半を占め、日本近海で漁獲されたものが15%、輸入されたものは漁獲されたものよりやや少なく13%となっています。
 日本周辺の漁獲量はほぼ一定で資源量などから考えて今後も大きく変わることはないと思われます。養殖物はいつでも新鮮な状態で出荷できるため主に刺身など生食用に、輸入物は冷凍品が多いため種に主に加工調理に利用されます。
 その推移をグラフで見てみましょう。養殖ものはグルメブームなどもあって10年ほど急速な伸びを見せていましたが、ここ数年頭打ちのようです。輸入ものは年によって多少の変動はありましたが、養殖同様ここ数年頭打ちか、やや滅少気味です。
 現在の主要なタイの産地はどこでしょうか。国内の漁獲量が多いのは愛媛、長崎、福岡、 山口、熊本など西日本に偏っています。これはマダイがやや温暖な海域を好み、瀬戸内海や東シナ海に多く分布するためと思われます。マダイの養殖が盛んなのは、愛媛、三重、長崎、熊本などでやはり温暖なところが多くなっています。外国からの輸入先は東南アジアが最も多く、最近生食用の生鮮タイが定着したニュージーランド、以前から析り詰めや調埋用に重宝されてきたスペインやアフリカなどがあります。東南アジアからの輸入タイには、タイ科以外の魚も含まれているようですが詳細はわかりません。
 築地魚市場で扱われるタイは年間約7800トンで、総扱量の1.3%になります。このうち生鮮タイは4800トンで最も多く、活ダイは2700トン、冷凍タイは少なく253トンになっています。入荷状態別でのタイの占める割合は、全鮮魚の3.1%、全活魚の21.6%、全冷凍魚の 0.2%となっています。これをみると鮮魚と活魚での割合が高く、タイは主に刺身や寿司な ど生食用に使われることがわかります。生食用のタイの大部分を占めるのはマダイです。鮮魚の中での種類別の扱い量は、養殖マダイが2900トンで最も多く、輸入マダイ690トン、天然マダイ674トンとマダイだけで全鮮魚の2.7%を占めます。そのほかのタイはチダイ319トン、かすご(チダイなどの小さいもの、133トン、クロダイ65トン、れんこだい(キダイ)7 トンで全鮮魚の0.3%にしかならず、マダイに比べて少なくなっています。




 タイ生産量の推移(万トン)

参考資料
東京都・1998.乎成9年東京都中央卸売市場年報水産物編. 水産庁水産流通課.1997.水産貿易統計平成9年1月〜12月). 農林水産省統計情報部.1997.平成8年漁業・養殖業生産統計年報.
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 築地魚市場で見られる世界の鯛

 築地魚市場に入荷する輸入のタイは鮮魚か冷凍です。活魚は以前ニュージーランドや中国のものが見られましたが、現在ではほとんどありません。先にもふれたように築地では生食用の生鮮タイが多く、冷凍のタイは少なくなっています。生鮮タイの中でも主流なのが二 ュージーランド産のゴウシュウマダイです。本来マダイは日本と中国周辺の東アジアにしか 分布しませんが、オーストラリア南部からニュージーランドに分布するゴウシュウマダイは、色がやや薄い他はマダイにそっくりです。また産卵期は10月〜l月(南半球の春から初夏に当たる)なので、日本のマダイが痩せている夏場に旬となるため日本の市場に定着したようです。ほぼ一年を通じて入荷しています。そのほかのタイは数も少なくあまりまとまって入荷しません。冷凍のタイで多いのは西アフリカのカナリーチダイやハナレンコ、アルゼンチンのヨーロッパマダイです。いずれも姿形は日本のマダイによく似ています。20年ほど前は輸入のタイと言えば冷凍品が多く、体がやや細いアサヒダイや顔つきのごついキダイ (レンコ)の仲間など世界中のいろいろなタイが見られましたが、焼物などの需要が滅ったため最近ではほとんど見かけなくなりました。
            

                    ゴウシュウマダイ(Waite,1923より)


          カナリーチダイ(Blache,Cadenat & Stauch,1970より)
参考資料
阿部宗明・1970−1994.新顔の魚.伊藤魚学研究振興財団. 遠洋水産研究所監修・1972.カラー遠洋漁場の底魚類.日本トロール底魚協会. 遠洋水産研究所監修・1976.カラー遠洋漁場の底魚類第2集.日本トロール底魚協会. 尼岡邦夫他編・1990.二ュージーランド海域の水族.海洋水産資源開発センター.

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 ”辛い”めごち

 天ぷらの種として使われる魚のひとつに「めごち」があります。ネズッポともよばれる「めごち」は、スズキ目ネズッポ科の中の主にネズッポ属の魚の総称で、日本の沿岸にはおよそ9種類が分布しています。築地魚市場でもネズミゴチやトビヌメリなど数種が見られますが、すべて「めごち」として扱われ、産地別に分けられるだけで種類の区別はされていません。この仲間は主に沿岸の砂泥底に生息し、ゴカイなどを食べています。キス釣りの外道 としてよくかかり、体表の粘液が多いため「ぬめりごち」あるいは内臓の痛みが早いので 「のどくさり」と呼ばれあまり評判はよくありませんが、その上品な自身は天ぷらにもってこいです。
 ところが、この「めごち」の中にひどく臭く食べると舌がぴりぴりするものがあります。この「めごち」は、釣り人などに「タバコごち」などと呼ばれていましたが、その原因となる魚ははっきりしていませんでした。そこで研究機関でたくさんの「めごち」を調べたところ、原因魚はヤリヌメリであることかわかりました。また、釣れる場所には関係のないこともわかりました。このヤリヌメリはネズミゴチやヌメリゴチといった他の「めご ち」と一緒に釣れるうえ、色や形など外見も他の「めごち」とよく似ているので区別が困難です。しかし、鰓蓋(えらぶた)のところにあるトゲの形で識別できます。ヤリヌメリのトゲは他の「めごち」とちがい、槍の形で鋭くとがっています(ヨメゴチのトゲも槍形でとがっていますが、ヨメゴチは他の「めごち」ほどたくさん釣れません)。原因物質についてはよくわかっていません。なお、図鑑にでているメゴチはカサゴ目コチ科の魚でネズッポ類とはまったく別の魚です。


         トビヌメリ

参考資料
堀口佳哉・宮原智江子・佐藤修二・土井佳代・大野冬樹・山本 裕・小山 隆・淵上信也・市川 進.1981.異臭メゴチによる食中毒の原因について;神奈川県衛生研究所報告.(11):25.29


  次回の展示テーマ
 
「東京湾の魚」
1999年4月l日〜6月30日
 現在、築地魚市場の魚は日本や世界各地から入荷しますが、江戸時代から明治時代にかけては、魚河岸(日本橋)の魚といえばほとんどが東京湾でとれたものでした。日本の近代化にともなって姿を変えたとはいえ、今でも東京湾が漁場の一つであることには変わり はありません。
展示では、東京湾における漁業の歴史や「江戸前」の魚を紹介します。

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